物語を生きる私

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人は物語の中を生きている。
今現在の進行形の物語、過去に行ってきた物語、未来に起こるであろう物語。
その物語に沿って、人は生きているんじゃないだろうか?

 

人が立ち止まるとき何が起きているのか?

人は思いもよらない、予想もできない、
自分の枠組みを超える大きな出来事に出会うと、
その場に立ち尽くしてしまうことがある。

あまりに圧倒的な力でねじ伏せられたとき、
あまりに理不尽な状況にさらされたとき。


そういうとき僕はこう考えた。
自分という物語に突如として
大きな空白や亀裂が入ってしまった。
そのために物語が進まない状態に陥っている。
つまり、これまでの物語に書き直し・加筆修正が迫られている。
そんなイメージ。


でも、変更修正ができない、続きが書けない。
書き手である自分の手が止まる。
そうなると、現実世界を生きている自分も止まる。
身動きがとれない。
なにもしたくない。

、、、どうしたらいいんだろう?

 

そうした時に、自然と勝手に自分がやっていたこと。
それは他の人の物語に触れてみること。

すでに幾人もの先人たちが書き残した物語。
悩んで悩んで、それでも、生きて。
書かなければいられなかった。
いわば、先輩たちの先行研究。
それらの研究・物語に自分がたくさん触れてみる。

 

僕らの先人たちはどうとらえてきたか

この「人間は物語を生きている」説、
自分だけがこんなことを考えているんだろうか?
と調べてみると、いやいやすでに何人もの方々が論じてました。
小川洋子さん、河合隼雄さん、脇明子さん、内田樹さん。

たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。
あるいは現実を記憶していくときでも、ありのままに記憶するわけでは決してなく、やはり自分にとって嬉しいことはうんと膨らませて、悲しいことはうんと小さくしてというふうに、自分の記憶の形に似合うようなものに変えて、現実を物語にして自分のなかに積み重ねていく。そういう意味でいえば、誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。
ー物語の役割 p22
物語の役割 (ちくまプリマー新書)

物語の役割 (ちくまプリマー新書)

 

 

本当に大切なのは「本」ではなく、「本」が作られるようになるよりもはるか昔から語られてきた「物語」であり、「物語」は本来、人間がまわりの世界と折り合いをつけながら生きていくために語られてきたものなんだ 
ー物語が生きる力を育てる p185
物語が生きる力を育てる

物語が生きる力を育てる

 

 「現実との折り合い」のために物語が必要なんだ、と。
物語に助けられながら、現実をどうにか受け入れている。

 

人間は表層の悩みによって、深層世界に落ち込んでいる悩みを感じないようにして生きている。表面的な部分は理性によって強化できるが、内面の深いところにある混沌は論理的な言語では表現できない。それを表出させ、表層の意識とつなげて心を一つの全体とし、更に他人ともつながってゆく、そのために必要なのが物語である。物語に託せば、言葉にできない混沌を言葉にする、という不条理が可能になる。生きるとは、自分にふさわしい物語を作り上げてゆくことに他ならない。
ー生きるとは、自分の物語をつくること p126
生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

 

 “言葉にできない混沌を言葉にする。”
自分の内部の言いようのない思いを
なんとか外部に言語化すること、
それが物語の始めの一歩になるのかもしれないな。

 

「美しい日本」というような空疎な言葉を吐き散らして、自国の歴史を改竄して、厚化粧を施していると、「国民の物語」はどんどん薄っぺらで、ひ弱なものになる。それは個人の場合と同じです。「自分らしさ」についての薄っぺらなイメージを作り上げて、その自画像にうまく当てはまらないような過去の出来事はすべて「なかったこと」にしてしまった人は、現実対応能力を致命的に損なう。だって、会いたくない人が来たら目を合わせない、聴きたくない話には耳を塞ぐんですから。そんな視野狭窄的な人間が現実の変化に適切に対応できるはずがありません。

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思想家、武道家である内田さんは、
国や社会集団ですら物語をつくって共有していると指摘してる。
個人もまたしかり、と。

 

他人の物語から自分の物語へ

現実世界で身動きがとれなくなってきたら、
たくさんの物語に自分が触れてみる。

そのなかに自分の心が揺れ動く物語がきっとある。
何度も何度もその部分を繰り返し読んでみる。
なにに感動したのか?
どういうところに心がザワザワしたのか?

そんなことをしているうちに時間がかかるかもしれないけれど、
他人の物語から、自分が生きるための物語が湧いてくるように思う。